標識探検 ☆☆
年長児になると、毎年標識探検に出かけます。街中にあふれる記号や標識から、文字に対する関心を引き起こすためです。どうして世の中に文字が存在するのか、それを知り、理解することが如何に自分たちの生活に便利であるか等、文字本来の意味や由来目的を子どもなりに感覚的に理解するためです。文字は、人に自分の意思を伝える記号です。その成り立ちや由来を感覚的に理解することで、文字に対する感覚が広く豊かになります。
道路標識は、なぜ必要なのか?100年前にはほとんどありませんでしたし、今でも、居住者の少ない島ではほとんどありません。
私たちは、どうしても自分の周りの世界が当たり前に思えてしまうのですが、実はそうではなくて、人間がスムーズに幸せに生きるために作られてきた、人間の合意の世界であると言うことを忘れがちです。一つ一つ積み上げられてきたからでしょうか?
子どもたちに、この世界の成り立ちを教え、この世界で生きる術を学ばせるのは、ルールや決め事を当たり前のこととして有無を言わせず受け取らせるのではなく、一つ一つ丁寧に出会わせていかないと本当の理解に到達しないのではないかと考えます。そして、本当の理解ができてこそ、それを変革し新しいものを創り上げる考えも生まれてくるものと思われます。
わくわくしながら出発です。
「あんなところに、あんなのがある!」さらに進みます。「そとは、きもちいいっ」車がびゅんびゅん通り過ぎます。こんな社会になったのは、ほんの10年あまりの間です。消防自動車が通り、大興奮です。「なんだろね~」「あっ、車にこんなシールが貼ってある」最近は、スーパーなどの駐車場でもよく見かけます。これを無視して利用する姿は、あまりカッコいいとは思われません。子どもたちの方が、厳格に守ることが多いようです。大人のほうが、「いそいでいるから」とか「ちょっとのあいだだから」と、言い訳して使っちゃう場合があります。そんなとき、子どもは大人を冷ややかな目で見ています。生きる姿勢が問われます。その価値観が自然に子どもに伝わります。カメラを向けると「ハイ、チーズ」ポーズをとることに慣れています。さらに進んでいくとこんなのがありました。「お父さんお母さんとちゃんと手をつなぎなさいということかな?」「あっ、みーつけたっ」「なんか、道に描いてある」「なんだかちょっと疲れてきたわ」「そういう時は、甘いもの」「甘くておいしい。ミツバチの気持ちが分かるね」橋の上にやってきました。亀や鯉が泳いでいるのを見つけて、しばし見とれています。何かを学んだというより、社会を感じたひと時でした。年齢が小さければ小さいほど感覚的な理解が大切です。理屈で考えるには、もう少し時間を必要とします。理屈を支える言語のイメージがしっかりとできるまでは、いくら説明して言い含めても、なかなか本当の理解に結びつきません。同じことをたくさん伝えればわかるのではなく、一回きちんと説明すれば分かるというようになるまでには、ものごとの本当の理解(イメージ的)が必要です。そのためには、イメージと言語が結びつく経験の積み重ねが必要です。それを行うのが幼児期ですね。