子育て座談会を行いました♪

愛知教育大学の新井先生をお招きし、子育て座談会を行いました。参加していただいたお母様は、約10名で、様々な質問や意見が出されました。特に、躾について悩んでみえる方が多いように見受けられました。231125 もちつき 068.jpg
さて、躾とはいったい何でしょうか?
 虐待まがいの暴力をはたらき、躾の一環だったと開き直る大人たちが新聞紙上を賑わします。そこからは、大人の言うことを聞かない子どもに腹を立て、暴言や体罰で子どもに恐怖感を感じさせ、大人の言うとおりにさせようとする姿が見て取れます。そこまでではなくとも、大人の思い通りにさせるために、体罰や厳しい叱責が躾と称されて行われているかもしれません。ちっとも言うことを聞いてくれない子どもに対して、ついつい大きな声が出てしまうお母様を否定するわけではありませんので念のため。また、大きくなると勉強のことが親には心配になります。ついつい「勉強しなさい」「やる気を出しなさい」と言ってしまったり、強制したり、あるいは、「うちの子ちっともやる気がないんです」と愚痴ったりすることもあるようです。ただ、大きな声や体罰などの脅しで子どもに言う事を聞かそうとするのは、大人にも子どもにも精神衛生上よくありません。幸せな躾になるよう、少し考えてみたいと思います。
 親御さんが、自分の子どもが思い通りにならないことに対して怒れてしまうのは、特におかしいことではなく、普通のことです。ただ、自分に置き換えて考えてみると、「やる気を出しなさい」と言われてやる気が出たことはありませんし、「ホントにお前は、‥‥だから」となじられてもダメですね。毎日10回言われてもダメでした。では、そんなの生ぬるいわよということで、一日100回言い続ければどうでしょうか?賢明な皆様には、そんなの意味がない、馬鹿なことを言うんじゃないと思われたことでしょう。
 「早くしなさい」と「勉強しなさい」を言い続けると確実にだめな子になる、と言われています。では、いったい、どうしたら良いのでしょう?


 人間は歴史の中で、様々な生活様式を身につけ文化を育んできました。
それは、衣食住に関わるものから、人との関わりにおけるものまで幅広くあります。そして、それらは環境の変化に合わせて改善され、人間にとってより良い生活環境を作り上げてきました。長い歴史にわたる人間の生きる知恵の集大成といってもいいかもしれません。おぎゃーと生まれた子どもは、まだ、裸の猿の状態で、人間としての素養や知識を備えているわけではありません。これから長い人間へのたびが始まります。その過程で身に付けていくものが躾と呼んでも良いかもしれません。
 さて、人間の赤ちゃんは、おっぱいを飲んでご飯を食べて生理的欲求を満たしていけば、人間の大人へと成長していきます。受精からの発達を調べてみますと、あたかも動物の進化の過程を、一つの個体が成し遂げながら成長していく姿から、『個体発生は、系統発生を繰り返す』と言われています。体は、栄養を摂っていれば、遺伝子に蓄えられた情報により、必ず人間になります。逆に言えば、空を飛びたくて鳥になりたいと思ってもなれないし、ライオンのように立派なたてがみが欲しいと思ってもなれないのです。
 それでは、心はどうかというと、人間としての心の栄養をとって人間の心に育ちます。心の栄養とは何かと問われれば、反論を承知で敢えて言えば、『愛情』『経験』と言っても良いかもしれません(当たらずとも遠からじ‥)。育てたように育つのが心です。
 躾は、体や心の発達に伴って、身に付けたほうが、社会で生きていくことがスムーズになって良いと思われる作法やマナーと考えれば、子どもの発達に応じた指導や援助が必要となります。
 あまり、焦らず、一つ一つ丁寧に子どもの心と向き合って身に付ける援助をしていきましょう。外からの力で無理やりに身に付けさせた力は、時を経ると雲散霧消してしまってます。時間や手間がかかるようでも、丁寧に身についた力は、きちんと内在化され、本物の力となって、次の発達のための源となってゆくことでしょう。