中学校でも未履修が(教育で大切なもの)

中学校でも、必修である毛筆が未履修の学校があることが分かりました。成績を上げること(進学率)が、教育の目的になってしまっているところが残念です。
本来、教育は人が幸せな人生を全うするために必要な力を養うことが一つの大きな目的であると考えますが、皆さんはいかがでしょうか?
幸せな人生にするために⇒社会的、経済的に成功すること⇒収入の多い仕事に就くこと⇒有名大学を卒業すること⇒良い大学に入学すること⇒良い高校に入学すること⇒中学校でよい成績でいること⇒小学校でも勉強ができること⇒就学前から文字や数を勉強したり、習い事をすること
たとえば、このように最終的な目的を得るための手段が目的になり、順次低い手段が目的になり、一番下位の手段が目的になったときには、人生がまったく見えなくなってしまっています。
目的と手段をきっちりと見分け、本当に大切なものは何か、子どもの発達段階それぞれにおいて、遠い目的を見据えながら育ちを援助することが、本当の幸せにつながるのではないでしょうか?


人それぞれに価値観があり、考え方が違うのはもちろんです。自分の考えを押し付けたり、自分の意見と異なる人を非難したり攻撃することは、厳に慎みたいものです。
自分の欲望を全うするために、人に迷惑をかけるのではなく、自分の思いも主張し、人の思いも理解し、互いに尊重し合う対話の中で歩み寄り、共に納得できる解決策を導き出せる力は、自分も人をも幸せに導く大切な力です。
いわゆる学校教育における学力といわれるものも、大切なものの一つであることでしょう。しかし、その前に、上記のような力を育てておくことが、人生の目的を見失わずに、しっかりと地面に足をつけて生きていくために必要となります。
社会で生きるとは、さまざまな人と関わるということです。ですから、その関わりを良いものにしていける力がないと、適応していけなくなる恐れがあります。
人が羨むような一部上場有名企業に就職しても、3年間で3割以上の人が退職していっています。もしも、その会社に就職することが目的で頑張って勉強してきたとしたら、それまでの苦労は、それこそ水泡に帰します。
もったいないことです。子どもたちには、さまざまな実体験の中から、自分を客観的に知り、社会に触れ、自分らしくあることの喜びや大切さをたくさん感じさせてあげることがアイデンテティーの確立にもつながり、地に足をつけた人生にする一助になるのでないかと考えます。
このようなことは、言葉で伝えるだけでは伝わりません。子どもと関わる大人たちが、その関わる瞬間瞬間において、心と心が通うコミュニケーション(言語のやり取りでなく)を心がけることが大切なことです。
幼児教育において大切なことは、人間的な温かいかかわりと言える事でしょう。

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