「ありのまま」を受け止める Ⅱ ☆

「ありのまま」とはいったいどのような状態を指すのでしょうか。自分が自分の思いで、自分を生きている状態ですね。それ自体は、決して悪いことではありません。
随分と昔、人間がずっと少なかった頃、人は自分の思い通りに生きていました。どこの魚を食べようが、どこの木の実を食べようが、ぐうたら怠けていようが自由気まま、勝手し放題だったのです。もちろんトイレなんかありませんから、どこであろうと自由です(ヨーロッパでも中世までは普及していなかったようです)。
あえて言うならば、自然に倣って生きていました。季節に沿った食べ物、暮らしのなかで生きていましたから、それから外れることは生きるということが危うくなることでした。
ところが、だんだん人間が増えてくると、自分勝手では、自分にも相手にも不都合が起こるようになりました。そして、安心してトラブル無く生きていくために、道徳が生まれ、法律が作られてきました。さまざまなこの世の決まりごとは、人間が増えたためによります(無人島で一人なら勝手し放題!)。


絶対的な法則や規則として道徳や法律が存在するのではなく、私たち一人一人が安心して生きていくために作り出したものです。
人は自分らしく生きていたいと行動すると、それが他者との軋轢を生じることが出てきます。そのため、自分をある程度抑えることで自分が安心して生きていく方策を学んでいくようになります。
子どもは、こういうことを、いろいろな人や時間や場所の異なるところで体験を積み、自己発揮と自己抑制のバランスの取れた生き方を身につけていきます。人間関係を教えただけでは身につかない、うまく応用できるようにはなりにくいですね。
自己抑制できる力を身につけさせようと、悪いところを指摘して直させたり、厳しく叱って育てると、自発性に乏しい子どもに育つ恐れがあります。
逆に、自分らしく生きる力を高めようと、子どもの全てを受け入れすぎては、人の迷惑お構いなしの傍若無人な人間になってしまう恐れがあります。
今ある姿が良いとか悪いという評価ではなく、今あるありのままの姿が事実であり、そこからどのように発達していくかという観点で捉えることが大切ですね。
発達援助にマニュアルはありません。その時その時の子どもの心を受け止め、大人が受け入れられるものであれば十分に受け入れてあげ、受け入れがたいものであれば、叱るのではなく、こうあって欲しい姿や状態を伝えることで、進むべき道を指し示してやることが大切だと考えます。