子どもと大人とどちらが正しいか?

大人は、子どもよりもたくさんのことを知っていて、さまざまなことができるので、自立して生きていけるし、よりよく生きていく方法も考えることができます。
子どもは、多くのことを知らないし、できないし、目先のことしか考えられないので、失敗もするし、人に迷惑をかけることをたくさんしてしまいます。
単純にこのことから大人と子ども、どちらが正しいかと言われると、ほとんどの人が大人と答えることでしょう。私も、もちろんそう答えます。
ところが、子どもの存在は大人にとってとても大きく、子どもの為に生きているといってもいいぐらいの場合もあります。でも、子どもの育ちを援助するために私たち大人はどうあるべきかということを考えると、どちらが正しいかということは、どうでもよくなってしまい、元気に子どもが生きていてくれさえすればそれでよいというぐらいの思いになってしまいます。
どのような観点で子どもをとらえ、そのために大人はどうすればよいかを考えなければなりません。教育的観点、日常生活上のしつけ的観点、共同生活者として喜びを感じあう者としての観点、さまざまな観点で考えると、同じようなことを子どもがしても、その対応が変わってきます。


私たちは、ともすると子どもの育ちを理屈で考えすぎなのかもしれません。本来が情の生き物である人間を、理屈に当てはめて育てようとするところに無理があるのかもしれませんね。
理屈で生きることが正しいのか、はたまた、情で生きるのが正しいのか。こんな風に考えてしまうこと自体が、理屈に凝り固まっている証拠かもしれませんね。
私たちは、もっと感覚を大切に生きるべきなのかもしれません。以前、書きました人間が進化の過程で獲たものと失ったものにありますように、文明も進歩すると便利になりすぎて、文化的精神的感覚が衰えてしまうのかもしれまん。
子どもが持っている、子どもらしさを大切にすることが、人間らしく育っていく力の源になるように思えます。少なくとも、大人の論理を振りかざして子どもに当てはめようとしてもうまくいかないことが多そうですね。