出会いと別れ ☆☆☆

出会いがあれば別れがある。当たり前のことですが、自分の身に降りかかってこなければ考えられない浅はかな存在は私だけでしょうか?
言葉としては知っている。出合ったら、必ず分かれなければならないのよ、と理屈で文言で頭にオインプットはされていても、本当に知っているとは言えないかもしれません。大切なことは心が揺さぶられる体験が伴っているかどうかということですね。
このようなことは、たくさんあります。日本の教育や評価のあり方が、目に見えるものを追い求めてきたがゆえの結果でしょうか。私もそれに乗っかって生きてきた人間ですから立派なことは言えませんが、純粋な子どもの心が、本当に大切なものを教えてくれます。
確かに目に見えるものは大切です。でも、それは目に見えないものに裏打ちされた奥深いものであることが必要です。詩人の『あいだみつお』さんも言っています。「大切なものは目に見えないんだよ」と。他にも、多くの方がこのようなことをおっしゃってみえます。


先週のことです。年長の女の子が、涙を流していました。どうしたのと尋ねると、「さびしい」と言って泣いているのです。だんだん泣き声も大きくなり、号泣といった様子になってしまいました。
実は、この子は、同じバスコースに乗る年少の女の子をとてもかわいがっていました。ところが、その子のお父様が関東地方へ転勤になり別れなければならなくなってしまったのです。そして、今日がこの子と過ごすことのできる最後の日だということで、感情を抑えきれず、号泣となってしまいました。しゃがんでいた先生の背中にしがみつき、延々と泣き続けていました。
6歳の女の子に、ここまでの心が育っている事に大変驚くと共に、このような思いは、育てようによっては育つものだということを教えられました。幼稚園での人間関係や教育だけでなく、家庭の雰囲気や教育方針によっても変わっては来るでしょうが、丁寧に子ども達の心に向き合っていくことが大切だと今さらながら痛感させられました。
このような心は、教えて育つというものではありません。生まれつきの性格と片づけてしまうのは、あまりにも子ども達の将来を限定的にしてしまいます。教育現場でもさまざな試みがなされていますが、情緒的である心を論理的に扱おうとするところに無理があるのかもしれません。
研究の場においては科学的であることが必須ですから、理論的に組み立てていく必要がありますが、現場で子どもの心を育む援助は、感覚的、情緒的でなければならないと思います。
理論をしっかりと踏まえたうえで、感覚的に捉え情緒的に接し援助する。まだまだ形の出来上がらない、柔らかい脳や心の子ども達には、発達的に考えても当然のことと考えられます。
お父さん、お母さん。ご自身の感覚を大切にしましょう。また、子ども達の感性も認めてあげましょう。それぞれの異なった感性がぶつかったり、協同したりしながら磨きあいながらみんなの心が育っていく。「会えなくなるから悲しい」と泣くかわいい少女の涙は、私に大切なことを教えてくれました。
最後に念押しです!
出会えて嬉しい、別れなければならなくて悲しい、そんな心が湧いてくるとき、「出会いあれば、別れがある」という言葉が分かっていると言えます。