子猫発見!!
先回、猫ちゃんの出産をお伝えした翌日、忽然と姿を消してしまった猫たち。雨も降り、大丈夫かと皆で心配していましたが、あきらめかけていたところに朗報が入りました。子どもたちが、「猫がいた。猫がいた」と、園長室に来てわたし(園長)の手を引っ張り、2階に連れて行こうとします。私は私で、半分あきらめていたので、それでも、子どもたちの一生懸命な様子に、「つきあってやるか」ぐらいの軽い気持ち(失礼)でついていきますと、二階のベランダのブルーシートをめくったその中に、「ミャーミャー」とかわいい声が。「いたーっ!」かわいい子猫がごろごろとじゃれあっていました。
好奇心の強いのが、ちょこっと外に顔を出します。グレイもいました。本当にかわいいものです。清少納言の枕草子の古(いにしえ)から、「ちいさきもの、いとかわいらし」と小さいもののかわいさが言われてきました。最近は、どうして幼いものはかわいいのかと科学的に証明する人もいますが、人の感性を科学で証明することは、少し難しいようです。顔の中の目の大きさや配置が、かわいく思える比率が数字で表されても、どうしてそれを私たちが心で「きゅん」とかわいいと感じるのかは証明できません。そういうものに惹かれることが多いようだと言うことは言えますが、かわいいの証明にはなっていませんね。子どもたちも、かわいい子猫ちゃんたちの前から、離れることができません。いっぱいいっぱい心でかわいいを感じてほしいものです。心が育つためには、たくさんの心揺さぶられる体験が必要です。教えても育てることのできないものですね。この時期に育てておかないと後では育ちにくいと言えるかもしれません。
早くから文字や数に慣れ、それを自在に操れるようになることも大切な能力の一つではありますが、まず、この時期に育つ心を十分育ててからでないと、大きな過ちを犯す恐れがあります。今の日本の危機的状況を迎えたその遠因として、高度成長時代における学力優先主義の蔓延による学歴社会。利益至上主義。があげられるかも知れません。確かに、その時代は言われたことをきちんと理解して再現する能力が社会を支えました。そして、日本が技術的にも世界の頂点を極めようかとなると、創造力を育成せねばと路線変更し、ゆとり教育は云々と修正されながら、新しい道を探っている状態です。ここで何故また学歴社会に逆戻りするかのような議論が沸き起こるのかは疑問です。日本の行く末を、進むべき道を、私たちはいま一度考え直す時期に来ているようです。きっかけが震災ではありましたが、この問題を対岸の火事として傍観してしまうと何も学べません。日本の進むべき道、人間の将来的なあるべき姿が一人ひとりの頭の中で再考されるべき時期に来ていると思われます(個人的な、勝手な妄想と切り捨てられるかもしれませんが)。
かわいいから話が随分それてしまいました。ごめんなさい。結論的に言うならば、目に見えるものだけでものごとの善悪等を判断していいのかと言うことです。あいだみつおさんも言っていましたよね。大切なものは目に見えないんだって。私たちが子どもたちを導くとき、本当にこれでいいのかと、教育に携わる者こそ考え直す時期にあるのかも入れません。
さて、かわいい子猫ちゃんたちは、まだ「ミューミュー」と鳴いていて、「ニャーニャー」という声に変わったら里親探しが始まることでしょう。それまでは、子どもたちの心に優しさ、愛おしさ、感性を育ててやってねと願うばかりです。
さて、その翌日、子猫たちは1匹を残してまたまた姿を消しました。人間が近づいたり、触ったりするのを嫌ったのかもしれません。確かに、授乳中の邪魔をしてしまいました。ごめんなさい。1匹は、猫好きの職員のお母様に面倒を見てもらっています。大きくなったら、みんなで顔を見せてほしいものです。自然のものは自然のままにしておいてあげるのが一番の親切ですね、と勉強させていただいた猫騒動でした。