足るを知る

「足るを知るものは富む」(老子)
その意味するところは、
自分の内なる生命意識に心を向けよ、
するとそこに限りない豊かな富を見つけるだろう。
ということに気がついた。と、述べています。
(平成19年7月1日付中日新聞文化欄、詩人画家加島祥造氏)
加島氏は、続けて次のようにも述べています。
「どんな豊かな富が見つかるかというと、ひと口に言えばそれはその人の中にある大きな能力のことだ。潜在能力のことだ」
私たちは、人や自分では推し測れない素晴らしい能力を持っています。ところが、それはなかなか目に見えて現れることはありません。しかし、その能力を使うことで、素晴らしい力を発揮できることは、たくさんの先人が示しているところです。本当の力とは、このような力に裏打ちされているのではないでしょうか。


子どもたちに対しては、自分の持っている能力をフルに発揮して、このような潜在能力も使って、豊かで幸せな人生を創っていって欲しいとだれもが願っています。
生きるということを考えるとき、社会で生きるために生活に必要な糧を得るための仕事をしなければいけないと考えます。
そして、その仕事によって得られる糧は、効率的であればあるほど、高額であればあるほどよいとされる風潮があります。実際、たくさんの経済的メリットがあると言うことは、それなりの貢献を社会にしていると考えられています。
次に、充実した人生であるかどうかを考える必要があります。自分が自分として生きている意味をきちんと捉え、社会に対して貢献できる自分に喜びを感じたり、本当にやりたいことをやる(自己実現)ことができるかということが、自分が生きている証と言えるかもしれません。
それは、すぐには答えが出るものではありませんし、時間が経つに連れて変わっていくこともあるでしょう。でも、自分のやりたい人生、こうありたいという人間像の芽生えは、幼児期から培われています。
大きくなってから、何をしてよいのか分からない、どう生きていったらよいかをあまり考えない若者が増えていると言われています。学生時代には、教科書に書いてあることを考え覚え、それをうまく試験のときに表せる人が優秀だと言われて育ってきました。
ところが、人生にはお手本がありません。100人いれば100通りの人生が、60億人いれば60億通りの人生があります。まさしく、自分で創造するしかありません。その源は、幼児期からの楽しい生活に端を発しています。
きれいな花を摘んで遊んだり、花粉ダンゴを黒い足につけて忙しく蜜を集める蜂に見とれたり、砂場で思いっきり泥んこになって遊んだりした驚きや喜びに満ちた快の生活体験がベースになります。
子どもたちが幸せに生きていくための幼児教育を考えるとき、目に見えない思いや力、考え(いわゆる教育要領でいうところの心情、意欲、態度)の育ちこそが発達のベースであり、この育ちとあいまって、目に見える力、表現したり言語を使いこなしたり、論理的に考える力が育ちます。
心情、意欲、態度の育ちにくい社会構造に変化してきているからこそ、幼稚園教育の中での心の育ちが問われる時代になってきています。園生活の中での指導、援助のあり方が大切だと、改めて感じています。