ゆとり教育の見直し?

中央教育審議会の中間答申が、紙面に公表されました。総合学習の時間が削られ、英語と理科が3割授業時間が増え、その他主要教科と体育が1割程度増加するという内容が伝えられました。
子どもの教育はどうあるべきか?子ども達の幸せはもちろんのこと、将来の日本のあり方をも左右する大きな問題です。
勉強ができるできない、成績が良い悪いといった表面的なことではなく、充実した人生を送るための一つの手段としての教育という観点から考えられ議論されると嬉しく思います。


教育を考えるとき、子どもの発達段階に合わせた援助や指導が必要ということを、私たちは理屈で理解していますが、本来の意味をきちんと理解できているでしょうか。
例えば、生まれたばかりの赤ちゃんに
「泣いてばかりいてはだめだよ」とか「おしっこをしたら、ちゃんと言いなさい」と何度も何度も教え込んでもできるようにならないのは、当たり前と私たちは分かります。
ところが、3歳くらいになり、一通り生活に必要なコミュニケーションが言語でできるようになると、割と当たり前のように諭したり教え込んだりしてしまっている事に気がつきます。
もちろん、子どもの目線で分かりやすく伝えれば多くのことを理解できるのですが、言語を全く習得していなくて、世の中のことを感覚的、情緒的に認識し理解している生まれたての場合は全く言語による意思の伝達や抽象的な理解は無理です。
その段階から、子どもは徐々に成長していきます。そこから考えると、3歳や4歳は、まだまだ言語を使っての論理的理解力というのは育っていない、これから育とうとしている段階と言えるでしょう。
このため、幼児期には具体的直接的な体験を積み重ねることが大切だと言われています。それは、抽象的思考のために、その基本データとなる具体的イメージをたくさん蓄えておく必要があるからです。これをやっておかないと、抽象的なものに対しては丸暗記することしかできなくて、当然、それを使った深い理解や探求などにも支障を与えます。
それでは、小学校の低学年ではどうでしょうか。高学年ではどうでしょうか。その時その時の発達段階、思考のあり方をきちんと理解した上での導きが考えられないと、教育成果は上がりにくいのではないでしょうか。
何を教えるかとか何ができるようになるとか目に見えるものを追い求める前に、そのようなものを自然に取り入れていくような前向きに生きる姿勢をこそ育てる努力が必要ではないでしょうか?