こころとからだ

心と体は不離一体です。心と体は別の存在であるように言われていますが、心の起源を進化や発達の観点から考えてみると、外界の変化や刺激を感じる力がその元になっているといわれています。
心と体は、お互いにかかわりながら影響し合いながら人間を作り上げています。心が落ち着かなかったり、むしゃくしゃした気分になったときに、おいしいものを食べたり、お酒を飲んでうさ晴らしをしたりすることがあります。
体を喜ばすことによって、心もだんだん体の喜びの影響を受け、立ち直っていきます。
また、逆に、心が元気になることによって、体に力がみなぎってくるようなこともあります。不離一体とはいえ、うまく心と体を使うことにより、私たち人間は、肉体的な、または精神的な壁を乗り越えて人生を作り上げています。
ところが、人間が言語を使用するようになり、精神世界をどんどん進化させたことによって、体が心に隷属するかのように、まず心ありきと考えられるようになってしみました。


心が、肉体を苛む、滅亡に追い込むことがあります。皆さんもご存知の通り、日本では、年間3万人以上の方が自殺によってなくなっています。人口比で考えると、4000人に1人の割合になるでしょうか。西尾市10万に置き換えると、年間25人という計算になります。
毎年毎年ですから、大変な数字です。少し暗い話になってしまいましたが、体が心に支配されすぎるとあまりよくない結果が生じたりします。
先日の新聞に、夜回り先生の水谷修先生の寄稿の中に次のような行がありました。リストカットを繰り返し、「死にたい死にたい」と言っている少女からの電話を受けたときの話です。
先生は、「わかった。じゃあ冷蔵庫の中にあるわさびとからしを持ってきてごらん」といいます。
電話の向こう側でリストカットをした少女に先生はこう言います。
「切り口に、それを塗ってごらん」
すると向こう側で、「ぎゃーっ」という叫び声が聞こえ、「先生は、私を殺すつもり」と少女は先生を罵ります。
先生は、痛いだろう。それはね、体が生きたがっているからなんだよと少女を諭します。普段意識しない自分の体、死にたい死にたいと心は思っていても、実は体は生きたいと思っているのです。
私たちは高度な精神文化を作り上げたがゆえに、体の声をよく聞くことなく、慮ることなく痛めつけてきてしまいました。その結果として、自殺であるとか過労死であるとか、また、自分の心をコントロールできないために自分はおろかその体を使って人を傷つけてしまったりもします。
体の声を聞くためにも、たくさん素直な気持ちで自分の体を使って遊ぶことが大切だと思います。特に、感覚的情緒的にものごとを理解する幼児期こそ、心と体のバランスを保つ力を身につけるときなのではないかと考えます。