相手の心を思いやる力

相手の心を思いやることができる人間に育って欲しいと誰もが思っている事と思います。ところが、そのためにどのような経験が必要か、どのようなかかわりが必要かについては、あまり言及されていないように思えます。
それは、はっきりとこうすればよいという結論がないからです。これが大事だと強く断定してくれる意見がないため、あいまいな形で終わってしまっているように思えます。でも、それは、その子どもがどのような子どもに育つかということに寄与する要因
  一人一人の持っている気質、特質のようなものから、育つ環境(家族構成  や、親の価値観、地域の特性等)
が異なるから、無理なわけです。
「人の気持ちを分かる子になりなさい!」と言えばなれるかというと、なれないことは明白です。10回言っても、100回言ってもなれません。また、それがどのようなことであるか、どのような経験を積めば、どのようなことを理解していけばそのようになれるのかという道筋も示してないようでは、子ども達は進んでいくことはできません。


まず、大切なことは「自分が自分である」という気持ちを持つということでしょう。アイデンテティーの確立といってもよいかもしれませんが、自分が人とは違う独立した存在で、自分で自分を生きる存在であるということに目覚めることが大切ですね。
すると、ひょっとすると相手は自分ではないけれど、自分とは違った相手独自の存在であるかもしれないと言うことに気がついていきます。自分と相手が違う存在であると言うことに気がついたとき、また、自分がかけがえのない大切な存在であると自己肯定感を持って生きているとき、相手もかけがえのない大切な存在であるかもしれないと考えることができるようになります。
実は、人を大切にする、相手を尊重する認めるという気持ちは、自分が大切にされている尊重されている気持ちに支えられて起こってきています。
発達には順序があります。意識や気持ち考えの発達にも順序があります。しかもそれは、言語による環境の理解の前から、非言語的認識の発達に支えられて様々な感情が育ってきています。最近は、胎児にも意識や感情があるということが定説になっています。
「人には優しくしなさい」「困っている人がいたら助けてあげなさい」といった言語的伝達で、簡単に子どもに指図するだけで、本当に心は育つのでしょうか。教えることで心が育つのでしょうか。心の育ちというものは、そんなものではありませんね。
毎日の生活の中で、親や先生や友だちとのかかわりの中で、心通わせて楽しく遊んだり、意見が合わずにけんかしたり、思いが伝わらずに手が出てしまったり、といった場面での一つ一つの丁寧な援助が大切です。
手間がかかって大変です。どのようにしたらうまくゆくか分からない。本当に今のままで大丈夫なのかと不安になったりもします。10人いれば10通りの、100人いれば100通りの方法があります。正解はありませんが、先人の知恵から、子育て先輩の経験を学ぶということはとても大切です。
数学や物理など、一つの決まった答えが出る問題は比較的楽です。でも、子育ては正解を出すのではなく、あくまでも目の前の子どもの発達援助です。幼児教育研究においても、事例研究が最も大切です。たくさんの事例を学ぶ中で、今、保育者が直面している子どもの育ちに対する課題を解決する方向性が見えてきます。
また、それを考えるだけでなく実践することが大切であることは論を待ちません。これがよいと思っても、途中であまりよくないということに気づくこともあります。そんな時は、軌道修正すればよいのです。自分と子どもの関係において子どもは育ちますから、その関係のあり方を修正しつつ子どもの発達を看取る必要があります。
決して後戻りのできない大切な時期だからこそ、きめ細かい配慮をした丁寧な保育で子どもの育ちを援助していきたいものだと考えます。