浄名寺の松原紗蓮さんのお話から
浄名寺の松原紗蓮さんの講話を拝聴する機会がありました。
紗蓮さんは、29歳。三河地方では数少ない尼さんの一人です。幼いときにご両親が離婚され、今の寺にあずけられました。幼少期は捨て子と言われていじめられ、十代には金髪で暴走族に入るなどしてグレていたそうです。手首を切ったこともあったそうです。
そんな紗蓮さんが、どうして尼さんになる決心をしたのか不思議でした。
金髪パーマのまま京都のお寺に拉致同然で放り込まれ、修行をさせられることになりました。いやいややっていたのですが、その10日目に仏様の御心に出会い目覚めさせられたそうです。そこで、一気に変わったそうです。その時に出会った言葉とは・・・。
人間は、外からの力では変えることができません。子どもの育ちも同じです。こんなところからも、良い子育てや、良い人生を作る姿勢を学ぶことができます。
紗蓮さんを変えたきっかけの言葉は、「少欲知足」だったそうです。少欲にして足るを知る。なかなか実践することは難しいことです。私たちは、この物質文明の真っ只中に生きており、便利さの恩恵にあずかっています。その便利さ、快適さを得ることが人生の目的になり、それが本来の人間らしい生き方を見失わせる要因になっているのかもしれません。
育ての親が、何一つ自分は贅沢せず、全てを自分のために使ってくれたのだと気づいたそうです。そして、いろんな教えや言葉を学ぶたびに、「あ、全部これは私を育ててくれた庵主さん」のことだと、気がついたそうです。
親(育て)の子どもに対する無償の愛に気づいたとき、涙が止まらなかった。次から次へと溢れ出てくる喜びの、感謝の思いの涙を止めることができなかったそうです。
一般的には、グレていて暴走族に入っていた人のことを良く思わない人が多いのは事実でしょう。でも、が10年近く本気になって修行をし、私たちにたくさんのことを教えてくださいました。私は、過去はともあれ立派な方だと尊敬します。生きる姿勢というのは本当に大切なものだと思います。
教育において、特に幼児期に育てるべき人間性、教育要領では心情・意欲・態度のような目に見えない、しかしその子どもを支える土台をこそ以下に育つ援助をすべきかという事に力を注がなくてはなりませんね。
子どもたちも、本気になって今を生きているから成長するのですね。借り物の言葉でなく、自分の言葉で、指図されてではなく自分の思いで、考え行動することに生きる意味があり、育ちの本質が隠されています。
まだまだ未熟者の私ですが、たくさんの人々に支えられて生きている事ができます。皆様、今後ともよろしくご指導くださるようお願い申し上げます。