「命」
2006年の世相を象徴する漢字として「命」が選ばれました。
「神はこの世に用なき者を送り給うことは一度としてなかった。小鳥も虫も金魚も、そして”私”も。生まれてきたありがたさを生きる尊さ」(時実新子:12/13中日春秋より)
脳性まひで寝たきりの伊藤登さんの川柳に心打たれ、その作品を評して語ったことばです。
生きたくて仕方なくても、早世してしまう命もあれば、今年相次いだいじめ自殺事件のように、自ら絶ってしまう命もあります。事件や事故で、不慮の死を遂げたり、病苦にさいなまれ無念のうちになくなる命もあります。
幼稚園の子どもたちを見ていると、どの命も輝いています。まぶしいくらいに輝いています。自分のことばで語り、自分の意思で行動し、笑ったり、怒ったり、泣いたり、優しくしたり。
今を精一杯生きる子どもたち。そんな命の輝きと共に生活し、その命がさらに輝くお手伝いをさせていただく幼児教育の現場というものは、本当にありがたく、やりがいのある仕事だと改めて感じております。
さらに中日春秋では、正岡子規の「病牀六尺」の一節から次のことばを紹介しています。
「悟りといふことは如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違ひで、悟りということは如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」
お釈迦様が、四苦の中に「生」を入れたことにも通じるものがあるかもしれません。お釈迦様は、人間の苦しみとして「老いること」「病気になること」「死ぬこと」そして「生きること」の4つの大きな苦があると語られました。
生きるということは、大変なことなのでしょう。生活の心配、将来の不安、苦手な人やものとのかかわり。でも、反面楽しみや喜びもあります。自分の思い通りにならないこともあれば、自分の夢が叶い、喜びに満ち溢れる場合もあります。
全てが自分の思い通りに行かないけれど、自分の努力なり、強い願望が自分をその夢に希望に導いてくれます。
子どもを育てるにあたって大切なものは、目には見えにくいですが自分の人生を作っていく力であることに異論を唱える人は少ないことと思います。
それは、子ども自身の心の中から沸き起こってこないと本物の力にはなりにくいものです。教えられ指示されているうちは、借り物の人生です。人と人との温かい心と心の交流、共にある喜び、気持ちの通じ合う仲間との有意義な時間、そんな生活経験の中から、優しさやたくましさが育ちます。もちろん、その時にはそのことを理解している援助者がいる事が大切ですが・・・。
日々の生活の中で、目に見えにくいけれど、成果を確認しにくいけれど、このような心を育てる保育に心がけることが、この世でただ唯一のその子の命を生きていく力の源となっていくことと思われます。