命の大切さ

「命が大切」なことは、だれでも知っていると思います。それでも、自ら命を絶つ人が増えているということは、どうしてでしょうか。自殺者は年間で3万人を超えているそうです。
命の大切さをどのように子どもたちに伝えるかという議論が、紙上などメディアでなされています。これは、学校や識者だけに任せるべき問題ではなく、私たち一人一人が取り組むべき問題であると考えます。また、伝えるのでなく、その思いを湧き起こさせる、育むといった文言のほうが合うように感じますが、皆さんのお考えは、いかがでしょうか?
一人一人の知恵を結集し、みなで協力して取り組む。話し合い、思いを伝え合い、お互いの立場を理解し合い、自分にとっても、相手にとっても、社会にとっても良い方法を見つけ出し、暮らしやすい社会を構築する時代に入ってきたと言えるかもしれません。


命が大切なことは、心の中から、大事に思う心が湧いてこないと本当には理解したとはいえません。ことばで伝えただけでは、子どもには伝わりにくいと思います。
たとえば、優しさについてもそうですね。優しくしなさいと100回言えば優しくなるかというと、そうではありません。
貸してと言われたら貸してあげたから優しいとは言えません。貸さないと、どんな仕返しがくるか怖いからということもあるでしょう。
私が小さい頃、別居していた祖母のところに行くと、祖母が両手を合わせて私に向かって「ありがたい、ありがたい」と涙を流しながら、拝むんです。
拝まれる私は恥ずかしい思いもありましたが、何だか嬉しい気持ちもありました。だって、自分の命をこんなにも喜んでくれる人がいるわけですから。
理屈じゃないんです。心が心に伝わるのです。
心の発達と言うのは、表面的な現象で捉えていては理解することができません。
この人のことが大好きだという思いが湧いてきたとき、自然にその人に対して優しくしていけます。子どもたちを見ていると、一緒に仲良く遊べるようになると、見事に相手をいたわったり、協力したり、お互いが良くなれることを考えて行動していることが良く分かります。優しくしなさいなんて言われなくても、大好きな人には優しくできます。
嫌いな人には優しくできません。でも、様々な経験を積み重ねていくと、嫌いな人は、悪人ではなくて、自分と考えの合わない人だということが分かってきます。さらに、その人もその人なりに幸せになろうとしているのだと言うことが考えられるようになると、その人をも大きく包み込んだ考えができるようになっていきます。
こんなことを考えていると、幼児期の育ちが如何に大切かと、再認識されます。幼児期に、人間としての心を育むために、必要な体験を如何に提供するか、そのための人間的なかかわりをどのように行うか、日常保育の大切さを考えさせられます。
そして、私たち大人に、どのように生きているかという生き様や価値観の見直しを、悲しい事件や、亡くなってしまった子どもたちの心が問いかけているのかもしれません