「慣れる」の裏側を考える
「慣れる」ということばを、私たちはプラスイメージで捉えることが多いと思います。それは、人間が環境に適応し生きていく動物であるということが根本にあります。
しかし、その環境が子どもの育ちにとって本当によい環境なのかどうか、そこで適応することが、子どもの心に何を植えつけているのかをよく検討する必要があります。
この、かわいい子ども達が20年後、30年後に一人の人間として生きていくために必要な力の芽生えは、もう既に始まっています。入園間もなくの様子です。先生と数人の子ども達が、花摘みをしていました。お母さんと離れた不安も、きれいなお花を見つけ摘み集める楽しさで和らいでいるようです。
優しい先生と楽しい時間を過ごすうちに、先生に対する親愛の情が生まれてきます。それをベースに、子ども達は園での活動範囲(精神的、肉体的)を広げていきます。
もう既に、楽しい遊びを見つけて、元気いっぱいに活動しています。
もう、お友達ができて、一緒に走ることを楽しんでいます。他の子どもと同じ動きをする。同じことばをしゃべる。そんなことが楽しく思えます。同じ仲間だと感じる瞬間です。
同じ価値観の仲間がいるからこそ、楽しく遊べます。楽しく一緒に遊んでいる子ども達の心をよく見てみると、イメージを共有し、同じフィールドでものを考え、同じ行動をすることを喜んでいる様子が分かります。
心と心が響き合い、共感し、心が育まれていっています。心の育ちは、心と心のふれあいの中からしか生まれないものなのでしょう。これは、人が人として幸せに生きていく上で最も大切なものと言えるかもしれません。
無理強いすること
嫌がる子どもを無理やり何かの環境に放り込むと、しばらくは泣いていますが、だんだん泣かなくなります。これは、慣れたのではなくて、諦めたのです。自分を主張できずに、あるいは主張しても聞いてもらえない情況であることを認識し、仕方なくその環境に慣れようとします。
優しく接し、慣れることを援助するほうがよいか、多少乱暴でもその環境に放り込んだほうが良いか、それは人それぞれの価値観によります。
しかし、心を育てる、人に対する信頼感であったり、美しさ優しさに感動する心であったり、やればできると言う有能感であったり、自立心や自律性、このような自分でありたいと願い努力する心のようなものが、人との心通う信頼関係の中から育まれることを考えると・・・。
一人一人の心に添った援助は、大変手間がかかります。しかし、一人一人の人間を育てる為には、必要なことです。大人の都合のいい子どもを育てるのではなく、子ども自身が育ちたい自分に育っていける援助こそが大切ですね。