新年度が始まりました。本年度もよろしくお願いします。
新年度が始まりました。春休みのブランクもなんのその。初日からパワー全開です。とても仲良く遊んでいました。一人の子どもがほっぺに手を当て、かわいらしい表情を作ると、他の子ども達も自然に同じポーズをしました。そして、しばらくの間、ニコニコと同じポーズをすることを楽しんでいました。観客はいなかったので誰かに見せるためではなく、純粋にやること自体を楽しんでいるようです。
一人の子の思いが、他の子に通じ、共通のイメージを抱いて遊んでいます。次の写真などは、見事なものです。自分たちで、こんな風になることが面白い、楽しそうと感じて、それぞれがそれぞれの場所でさっと自分の位置を決め隊列を組みました。仲良くなり、気心が知れていくと、相手の気持ちを読み取り、そのイメージに自分も参加し、より楽しいものにしていっています。
一人の男の子が、滑り台を洗い始めました。みんなの滑り台だからきれいにするんだと言って、雑巾できれいに拭いてくれています。そこへ、男の子が一人やってきました。何をするのかと思ったら、空き缶に入れてきた水を上から流してくれました。一人の子の行動に、別の子どもがそれを感じて加わり、共にことばを多くは交わしていないのですが、イメージを共有して遊ぶことができています。この後、石鹸とたわしを持ってきて、消毒するんだと言ってごしごしきれいに洗ってくれました。
ブランコをびゅんびゅんこいでいました。よく見ると、女の子が後ろを押してくれているようです。女の子は、押すことが楽しいというのもあるでしょうし、押したブランコが男の子を乗せてびゅーんと飛んでいくことも楽しいことでしょうし、心は、その男の子と一緒にあるのかもしれません。
自分も押してはいるのだけれど、あたかも乗っているような気分であるのかもしれません。たとえば、私たちがスポーツ観戦をするときなど、実際に自分はプレーをしないで見ているのだけれど、あたかも自分がプレーしているように楽しんでいる事が良くあります。手に汗を握っています。自分の体が選手に応じて動いてしまうこともあります。
協同する、心がシンクロするといえるのかもしれません。ですから、私たち人間は、一人で生きているのだけれど、実は様々な場面で様々な人の心と共感したり協同したりして、他の人の心と共にかかわりながら生きている存在であると言えるのかもしれません。
ということは、生きるということは、この時代にあっては様々な人とのかかわりの中にあるということです。避けて通ることはできません。ただ、食料を探し動物的に生きていた時代ではなく、自己実現をはかるため、生きている充実感を感じ、社会的貢献を喜びながら、人々と共にある。まさしく社会的存在としての人間性を身につけることが、幸せに通じることではないでしょうか。
このように考えるとき、このような幸せを子ども達が得ることができるよう、この幼児期に心を耕し、感性を育て、人間的な心の基盤をしっかりと作るための援助をしておきたいものと考えます。