社説「君たちを一人にしない」から

平成18年11月19日付の中日新聞に、「君たちを一人にしない」という社説が掲載されました。
私たちは、一人一人は本当に弱い存在です。私なども、決してひとりでは生きていけません。皆様の様々な有形無形のご援助、ご芳志を賜りながら、生かさせていただいております。
自分の命が必要とされている命であるということ、また、一人ぼっちじゃない、一緒に歩いてくれる人がいるということを実感できれば、どんな困難があろうとも、人は強く生き抜いていけるのではないでしょうか。
特に、子どもに対しては、言葉で、行動で(抱っこやスキンシップ、一緒に遊ぶ)愛を伝えて行く必要が親にはあります。子どもは伝えてもらわないと分かりません。また、口先だけでなく、実感として愛を感じていたいのです。
窮地に陥ったとき、必ず自分を助けようとしてくれる人がいます。ですから、周りのいろんな人の思いを感じることのできる力を育てておくことが大切ですね。


私が幼少の頃、母親が冗談で「橋の下で拾ってきた」と言ったのです。それは、たぶん今から考えれば、どこから生まれてきたのという子どもたちからの質問に対する、親なりの照れ隠しの答えだったのかもしれません。
でも、私は3~4日間悩みました。ショックでした。夜、布団の中に入って、きっとあの川の、あの橋の下に違いないと考えました。
だって、そこは普段は水流が少なく、川幅の九割がたを砂地が占めていたからです。
大きくなればそんなことは冗談で済むことなのですが、知識や経験の少ない子どもは、そのようなことをまともに受け取ってしまうことが、往々にしてあります。
思いを子どもにきちんと伝えるということは、本当に大変なことです。でも、幼児期に、人の心と心が通い合うコミュニケーション力を養っておかないと、いつまでたっても、橋の下で拾われてきたと思い込んでしまうわけです。
もちろん、言語で理屈を伝えるのでなく、情のコミュニケーションで伝える必要がありますが。
社説の中でこのような記述がありました。
「目を凝らし、耳を傾けるいとまがあれば、道端や空や海にも、あなたを見守りあなたとともにあろうと願う無数の命に気づきます」
ともにあるということを感じることができれば、人間は強く生きていくことができます。
永観和尚様が阿弥陀如来とともにあるということを感じる件があります。
四国の八十八ヶ所巡りのお遍路さんも、同行人ができると強くなるという件もあります。
ともにあるということを感じることは素晴らしいことです。
ともに歩む友は、いてくれるというだけで百人力です。
だからこそ子どもたちには、心で感じる力を育んでおく必要があります。情と情とのコミュニケーションです。言語は、そのためのツールにしか過ぎません。まずは、親との情の交換。
そして、保育園や幼稚園に入り、家族以外の人間(教師や友だち、その親たち)と心通うコミュニケーションをたくさん経験することで、人の気持ちを感じる力が育ちます。
幼児期は、人間としての基礎が育つ大切な時期と言われて久しく、それに異論をはさむ余地はありません。だからこそ、この幼児期に、目には見えにくい、心で感じる力を育てておく必要がありますね。

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