情報化社会の子育て

世の中には、情報が満ち溢れています。昔から、情報を制する者が勝利を収めるのは歴史が証明しています。
ところが、これだけ情報のあふれる社会になってくると、どの情報が正しくてその情報が誤っているか判断に悩む事が良くあります。
たとえば、厳しい躾がよいか、優しく教えたほうがよいか。
巷では、様々な育児書があふれ、厳しさがないと本当に子どもには伝わらないと主張する人も見えれば、子どもの自主性を重んじ、ゆっくりだけど着実に歩ませたほうが結局はきちんとした力を身につけるのが早いと主張する人もいます。
癌治療においても、外科的化学的療法が適していると主張する医者もいれば、東洋医学的あるいは免疫学的療法が優れていると主張する人もいます。
両極端な情報の渦の中にいる私たちは、上手に情報を取り扱う力を身につけなければなりません。嫌でも情報が耳目に入ってくる時代ですから、子ども達には、情報を得る力ではなく情報を判断し取捨選択する能力を育てることが大切になると言えるでしょう。


いったい、世の中に絶対に正しいと言うことがあるのでしょうか。
物理学の世界でも、目に見える世界ではニュートン力学も成立しますが微視的な世界では量子論であったり、相対性理論と言ったものが必要となってきます。
光でさえも、波動でもあり粒子でもある(要はエネルギーであるということなのでしょうが)と、場面に応じて使い分けています。
教育や躾の方法は、その時その場所でその子どもと養育者(親あるいは保育者等)の関係においてなされます。それは、その時にしか発生しない状況です。
つまり、同じ場面は2度とは現れないので、様々な経験や理論をそのまま当てはめてもうまくゆかないことがあるのは当然ということです。では、どうするか?
実は、私たちはこの文明社会を作り上げることにおいて理屈や理論で構築してきました。ところが、私たち人間は自然のものであり、理屈では解明できない存在です。それを、無理に理屈に当てはめようとすると子どもの心にストレスを発生させ、かえってよくない結果を招いてしまったりします。
さて、先人の子育てはどうでありましたでしょうか?育児書もない時代にお母さんたちは実に見事に子育てを行ってきました。しかも、自然の中に溶け込み自然と共に生きてきました。
私たちは、実は感性と言った目に見えない素晴らしい力を、物質文明の力で失いつつあります。人間らしく生きていくために感性が大切であるということに異論をはさむ人はいないと思います。
人間らしく生きるために、人間らしい子育てをするために、もっと私たちは自分の感性といったものを信じても良いのではないかと考えます。いや、そこに様々な問題の解決糸口が潜んでいるのではないでしょうか。
こうでなければならないといった風潮に流されず、自分の感性を信じて生きて生きたいものだと考えます。