人の心に響く関わりを!

私たちは、法律の下で生活を営んでいます。日本国憲法を大元にして、さまざまな法律が制定され、私たちの生活を守ってくれています。
法律に触れなければ何をしても良いか、法律に規制されていないことは社会的に認められるのかということに関して考えてみると、やや考えがぐらつきます。
法律とは一体何のためにあるのでしょうか。どうして交通ルールは守らなければ行けないのでしょうか?誰も見ていないのなら、ちょっとぐらい違反しても・・・、と考えたり、悪いことだけれどみんなやっているからやってもいいんだ、と考えてしまうこともあるかもしれません。
私たちは皆、幸せになりたいと思って生きています。私もそう考えるし、あなたもそう思う、だから、こうでありたい。そんな思いをしっかりと持つ事ができる人間に子ども達を育てたいと思います。


人に迷惑をかけてはいけないと100回言えば、子どもは迷惑をかけない子どもになるのでしょうか?いや、100回じゃ生ぬるい!最低1000回は言わないと、しかもきつく言わないといけないよ。なんてことはあるのでしょうか。
子どもの心に響かない言葉は、意味がないどころか、かえって子どもの心を傷つけてしまう恐れがあります。いくら大人が良かれと思って子どもに注意したり諭したりしても、響かないことがあるのです。
知立の中学校の先生が、卒業した教え子にナイフで傷つけられました。先生は、その子にとって良かれと思いきつく指導したのでしょう。ところが、子どもは、その指導をありがたいものと考えず、恨みを抱く結果になってしまいました。
とても悲しいことですね。どこが間違っているのでしょうか、何がおかしいのでしょうか?
実は、人間はかかわりの中で磨かれ成長し、生きていっています。一方的な指示命令の下で気づき考え成長していくことはまれです。心は心によって磨かれ成長していくのです。心の成長がかかわりの中でなされるのだとしたら、その関わりの如何が問われなければなりません。
一方的に何かを伝えるだけで、二人の間の人間関係は深まるのでしょうか。私たちは皆幸せになろうとして生きています。自分の幸せを考えることはもちろん大事なことではありますが、そのときに今関わっている相手の幸せをも考えられるようになっているかどうかが大切かなと思います。
相手がいる事で、自分が存在する意味があります。誰もいないのなら、自分が生きていても存在していなくても何も変わりはありません。人間が社会的存在であり、民主的な世界で幸せになっていこうとするのなら、私たちは関わる相手の存在を忘れてはいけませんし、さらに、その相手を幸せにすることができることで自分の存在意義が増すと考えられるようになれるとすれば、世の中はもっともっと楽しくて、生きている事を喜び、共にあることを喜ぶすばらしい世界になっていくのではないでしょうか。
決して、自分がそのように生き切れているとは言えませんが、頭の片隅に必ず置いておいて、ときどき考え直したいものだと考えます。
今日の朝は、子ども達が蝉を取りたいというので、捕虫網を持って捕まえにいきました。3~4匹とることができました。蝉を探す子ども達の真剣な顔、捕まえたときの笑顔、子どもの姿が私の心を幸せにしてくれました。子ども達と一緒に過ごすことで、大きな幸せをいただくことができました。子どもたちに心からお礼を言いたいと思います。(子どもの方が、人間的には立派なのかもしれません)