「命を大切にする心を育む」

命が大切なことは、誰でも当たり前のように知っています。そう、知っているのです。テスト問題の中で、命は大切ですか、どうでもよい取るに足らないものですかと言う設問を作ったら、ほとんどの人が、大切であるという方に回答し、また、採点者も大切であると答えた人を正解にするのではないでしょうか。
知らないよりも知っているほうが大切であるとは思われますが、知っているということを深く考える必要があると思われますね。
命って一体なんだろう?どうして私たちは生きているのだろう?答えの出ない疑問が次から次へと湧いてきます。
昨年度、愛知県私立幼稚園連盟は愛知県学事振興課の補助を受け、園長主任研修において、この問題に対する研修を行いました。3回に分けて行いましたが、どの講師の先生もすばらしいお話でした。ご興味のある方は、愛知県のホームページでご覧下さい。
一人でも多くの方が、この問題について考えてくださることを祈っております。


さて、ことばでいくら説明しても子どもが理解してくれないということがあります。それは、子どもが劣っているのではなくて、子どもがものごとを認識する力はどうなっているのかということが、検討されていないからだと思うのです。
子どもは、言語を自由に扱うことができません。習得途中です。でも、感じる力は身につけています。もともと、心は感じるところからきているともいわれています。また、言語は感じたことを相手に伝えるための手段の一つであり、ものごとを論理的に考える道具でもあります。
したがって、発達的に考えると、その時その時の特性を踏まえた経験の積み重ねが大切になります。幼児には、感じる体験が大切と言うことだと思います。いわゆる感性を育てるとでもいうのでしょうか。
美しいと感じたり、不思議だと感じたり、嫌だなと感じたりする体験の積み重ねがものごとを理解する土台になっています。
小さな子どもに、命の大切さを説くことも大切かもしれませんが、その前に様々に命を感じ、様々な命と共にあるかけがえのない自分の命のありがたさを感じる経験をたくさんすることが大切なのではないでしょうか。
命の大切さは、教えるものではなくて、心で感じ取るものだと思います。言語的理解ではなくて、情緒的理解が幼児期には大切だと考えます。