自律心を育てる援助

論理的に考える力は、その元をたどっていくと感じる力に行き当たります。心というものは、さまざまなことがらを感じたものと自分の思い(欲求)とのかかわりの総称と言えるかもしれません。
私たちは言語という道具を使って様々なことを考えますが、実はその裏には、今までに経験したさまざまなことがらから得たイメージや感覚が広がっています。イメージや感覚は感じたものでできあがっていますから、感じる力は心の源となります。
生まれたての赤ちゃんは全く言語を理解しません。また、幼児にしても、情緒的感覚的に自分の周りの世界を認識しているところから数年しか経っていないので、それらを言語的イメージと結びつけたり抽象的イメージで思考する力は十分ではありません。まだまだ、感覚的情緒的理解が優位に立っている年齢と言えます。


このような発達段階にある時には、いくら言語で論理的に説明しても、それを理解するベースとなるイメージが備わっていないので、大人の伝えようとしている事が十分には伝わりません。
大人が感情的になり、大きな声や怒りの表情を交えて子どもに伝えると、子どもは言語よりも大人の表情や声色態度を敏感に感じ取り、黙ってしまいさも分かったかのように振舞ったり、泣き出したりして目の前の状況を変えようとします。
子どもが自分の力で、考えられる範囲で身につけていくために、幼稚園教育要領では、自律心に限らず子どもが身につけていってほしいものに対して、「必要感を感じて」という言葉が使われています。
それは、その場で感じることがベースになっています。先生が言うから、お母さんが言うからではなく、子ども自身が自分の心で感じて大切だ必要だと感じることが大切となります。
たとえば、おやつを食べるときに、「手をきれいに洗ってからでないとあげません」と言って手を洗わせる命令的な場面では、子どもはおやつが食べたいばかりにその時は手を洗いますが、手を洗ったほうが良いという思いは育っているかどうか疑問です。
それに対して、「外で遊んでいると、外のバイキンがいっぱい手につくよね。中には、食べちゃうとお腹イタイイタイになっちゃうのもあるのよ。○○ちゃんがお腹痛いといって泣いているところをお母さん見ると、悲しくなっちゃう」と伝えることで、子どもが望ましい行動身につける場合があります。
納得して、理解して望ましい言動を身につけることが望まれます。そのためには、子どもの理解力がどの程度であるかを把握した上で、その子どものそれまでの経験に照らし合わせて、押し付けでない感覚的情緒的に理解できるような援助が必要とされます。
目に見える行動が望ましい行動であれば、分かっている理解していると短絡的に考えるのでなく、子どもの心とじっくり向き合い、心と心が通じるコミュニケーションによって子どもの本当の理解度を感じ解てあげることが大切です。
言語によって説明しようとするとなかなか大変ですが、生身の子どもと生身の自分としっかりぶつかり、愛でもって子どもの思いをくるんであげることが大切ですね。
努力する心や向上心は、時にはさぼりたい誘惑を振り切ってなされます。それは、その誘惑よりももっと魅力的な目標があるからですね。ですから、あこがれることができるような未来や将来のカッコイイ自分をイメージできるような体験が必要です。
見たことも聞いたこともないものに向かって、人間は進もうとするでしょうか。人間は、心で感じて心で動きます。心揺さぶられる体験をたくさんし、豊かな情操を育てることが、実は自律心の育ちにも大切なのです。
自律心に限らず、全ての心の育ちは総合的に捉えて考えたほうが良いでしょうね。様々な心はかかわりあい、成長しています。心と体と知識も、かかわり合い育っています。子どもの心を感じられる生活であれば、子ども達はすくすくとそのかわいい心を成長させていってくれるものと信じています。