つつじが満開 !!

園の西側の川を隔てて調整池があります。その池の周りに植えられているつつじが満開で、とてもきれいでしたので、みんなで、つつじを見に行こうということになり、出かけました。210430 つつじが満開 001.jpgつつじの蜜が甘いことを知っている子ども達は、さっそく味見をしていました。(整備をされている市の方、すみません。少しいただきました。子ども達の学びのためとお許しください)210430 つつじが満開 007.jpg


「どんぐりも落ちてたよ!ほうら」持っていったカップにたくさんどんぐりを拾い集めて、大満足です。210430 つつじが満開 010.jpg「写真撮ってるの?」
「じゃあ、かっこよく撮ってよ!」210430 つつじが満開 029.jpg強いものにあこがれる子ども達です。なりきっています。
つつじの花でたくさん遊ばせてもらいました。みんなで楽しかったことを紙に描くことにしました。210430 つつじが満開 042.jpg素敵にできたので、みんなにも見てもらえるよう張り出しました。210502 園庭整備 032.jpgわいわい言いながら描きました。ミツバチが飛んでいたね、と言いながらミツバチを描きました。蜜が甘かったねと言いながらつつじの花を描きました。クモもいたよねと言いながらクモの巣とクモを描きました。210502 園庭整備 033.jpgウルトラマンが好きなので、ウルトラマンを描きました。女の子は、かわいいウサギと遊びたくなったので、ウサギを描きました。きのこも描きました。
子どもの絵画造形活動は、写実的に再現することが目的ではありません。描くことそれ自体に意味があるのです。上手であるとか下手であるとかは、大人が勝手に思い込んでいる判断基準に沿って決めているだけの事で、子どもの発達には役に立たないどころか、マイナスになってしまう恐れもあります。
そもそも、何のために描くかということがきちんと押えられていないと、せっかく描いた子どもの絵が意味薄いものになってしまう恐れがあります。
子どもが経験した事から、それを頭の中で、もう一度思い返し、再構成し、頭の中で楽しみます。それをより楽しくするために具体的に絵に描いてみたりします。イメージを広げるための道具、思考を援助するもの、ピアジェが言うところの自己中心性言語(独り言)のようなものかもしれませんね。
心を育むためには、たくさんの体験が必要です。私たちは体験から、感じたり、考えたりします。それら全てが心のもとになっていきますから、さまざまな体験を積むことで豊かな心が育まれる素地ができます。素地と言いましたのは、経験の質がどうであるかということが問われるからです。
幼児期においては、楽しんで喜んで描くということが豊かな心の発達につながり、また、手指の巧緻性の発達につながり、結果的に文字や絵が上手に描ける事につながっていきます。将来のための基礎が培われる発達段階です。