モダンダンス発表会から

「こかチちかこ」ダンススタジオの発表会が、22日(日)にパティオ池鯉鮒(ちりゅう)で開催されました。当園の在園児、卒園児をはじめ、スクールの子ども達やダンサーが、ステキな踊りを披露してくれました。心から踊ることを楽しんでいる子どもの表現は、感動の粒となり私たちの心にしみこんで来ました。
発表会にあたり、事前に保護者宛に配られた指導上のポイントの文章には次のように述べられていました。
「比較をしたり、競争をあおるのでなく、その子の良さを伸ばしてあげたい」

人よりも優れている事で満足感を得ていると、そのことだけが目的になりがちです。人よりも劣っていると感じると、自分を卑下し、何事にも前向きに立ち向かう姿勢が育ちません。
競争を否定するものではありません。しかし、その前に育てなければならない大切なことがあるのではないでしょうか。


価値観が違うことは、当然です。それを否定するのではなく、「こかチ」はこういう風に生きて行きたいと宣言しているのです。金城学院大学で学生に伝え、また、特別な指導を要する児童たちの心の開発育成に携わる「こかチ」の宣言でした。
「こかチ」自身がこのような生き方をしているから、指導を受ける子ども達がこの影響を受けないはずがありません。事実、長年「こかチ」の指導を受けた子ども達は、しっかりとした人間に育ち、立派に学生生活を送っています。
芸術は、優劣を競うものではありません。感性を表現し、それを受け取り感動する。心と心の、表現を通しての対話です。情緒的に理解し合う関係が成立します。そして、対話の中にお互いの感化があり、成長が発現します。
これに比べ、言葉を介したコミュニケーションのなんと危ういことでしょうか。理屈を通して分かり合うというよりも、伝え合うことに主眼が置かれるのも仕方のないことでしょうか。発達を勉強していると、論理的であることよりも情緒的であるほうがまず大切であることに気がつかされます。人間の意識や精神の進化と言うものは、肉体の進化に連れてなされてきているようです。
学歴や業績など数字で表されることが多い世の中ですが(これを非人間的と感じて見える方も多いと思います)、人間的(情緒的、アナログ的)な側面が土台であるということを忘れてしまっては、人間として生きている価値が見出しにくいのではないでしょうか。
後段で、「こかチ」は次のようにも述べています。
「比較や競争から生み出された毒は、自らを蝕むことはもちろん、周りの人間をも毒し蝕んでいくことになってしまう」と。
大きくとも小さくとも、よく動くか動かなくとも、丸でも四角でも三角でもどんな形であれ一つ一つの命を慈(いつく)しみ、それを磨き、輝かせることを至上の喜びとする「こかチ」の真骨頂と言えます。舞台で跳ね踊る純粋な心が、私たちの心を浄化してくれます。
生きるとは何か、命とは何か、心とは何か、言語では説明しにくいことがたくさんあります。でも、子どもの幸せにかかわる仕事をする私たちは、難しくともそれを追求する気持ちを忘れないようにしたいものです。子どもとともに生活し、生きる。その中で対話し、響きあい、感化し合い、情緒的かかわりを深めていく。そんな中に答えは隠されているのかもしれません。
Dance Work こかチのホームページ
   http://www014.upp.so-net.ne.jp/dance/