ことばの発達
子どもは、ことばを習得する速度がとても速いですね。一歳になる頃に、「マンマ」とか「ぶーぶー」とか、やっと片言を話し始めます。そして、語彙が増えるたびに親は喜ぶのですが、3歳くらいになると日常生活に困らないほどのことばを使い分けるようになります。
最初は親が教えたから身についていったように思えますが、いつの間にか、親が教えていないことばまでしゃべり、その子ども特有の表現を見せるようになります。
このようなことから、ことばは教えて身につく部分もありますが、子ども自らが外の刺激から学び取っていると言えます。したがって、豊かな言語環境とは、周りに言語があふれているというよりも、子どもが関わっていきたい環境の中にことばが使われていると考えたほうがよさそうです。
元京都女子大学の岡本夏木先生(京都大学卒、発達心理学専攻)はその著書「子どもとことば」の中で、次のように述べてみえます。
『ことばは子どもの全体的な発達のなかから生み出されてくる。』
『「ことばの発達」というよりも、むしろ「発達のなかのことば」とか「ことばと発達」という方が、私の考えにはふさわしいような気がするのである。』と。
つまり、ことばはことばのみの習得を考えていては、本当のことばの習得には至らないということかと思います。
体と心と頭の発達は、それぞれ関連し合ってなされています。知覚やものごとの認識は、自分が活動することによる物体の見え方やものごとの変化からより複雑な力を得ていっています。
人と近くにいて、何かをどうしても伝えたいのに離れていて手が届かない、そんな時に声が出ます。伝えたい内容によって、声が分化していきます。そして、様々なことばとしてその偉大な力を遣うことができるようになります。
また、同調したり、相手とのリズムを図りながら、コミュニケーション(ことばによらない)を図ることも、ことばに乗せて自分の思いを伝えるためには、その中身として大切です。
ことばを発することができても、相手に伝えるものがなければ、話しているとはいえません。相手に渡したい荷物があるから、ことばと言う船にその荷物を載せて相手に届けるのです。もちろん、相手は船を受け取るのではなくて、船に載っている荷物です。
いったい、この子はどんなに荷物を私に届けようとしているのか?そんな思いで子ども達と関わることができたなら、素敵なコミュニケーションがたくさんできることでしょう。
何事においてもそうですが、つい目に見えるものに心を奪われてしまう私たちです。でも、常に目に見える状態や現象の中からその本質を理解し、大切なものを受け取ることがよりよく生きるためには必要で、特に子どもの育つ場における子どもの心の理解(子ども達が船に載せて私たちに届けようとしているもの)は、子どもの心を健やかに育てる援助のためには不可欠ですね。