ある日の雑談 (8081)
子どもさんが卒園されてから数年経ったお母様にお会いしました。
「先生!私迷っているの」
「どうされました?とってもすばらしいお子様だと思うのですが」
「はい、とてもいろんなことで頑張ってくれているとは思うんですが、そろそろ小学校も中学年ですから、このままスポーツを思いっきりやらせようか、それとも勉強に力を入れさせたほうがよいか迷っているんです。知り合いの方たちは、いろんなことを言われるものだから、私どうしていいのか分からなくなってきているんです」
「なるほど、そうですか。どの考え方にも一理ありますからね」
「そうなんです。だから余計に迷っちゃうんです」
「でも、お母さん。両方とも手に入れればいいじゃないですか」
「えー、そんなに欲張っちゃっていいんですか?二兎を追うもの一途を得ずって言うじゃないですか。なんだか心配!」
「大丈夫ですよ。体と心と頭は、関わりあって成長していますから」
「そういえば、お勉強ができる子ってスポーツもできたわ。天才的なのよね」
「そうですね。体が発達すれば、脳も血の循環がよくなって働きがよくなります。また、いろんな活動を行なえばそこでの経験から、様々に考えることになります。嫌な思いや悲しいこと嬉しいことたくさんの感情を味わうことにより情操も豊かに育っていきますね」
「でも、もう少し勉強すればいいのにって、思っちゃうんですよ」
「それは、贅沢ですね。求めすぎはよくないですよ」
「でもね、もう少し気をつければ100点だったのにって思うと、ついカッとしちゃうんですよ」
「なるほど・・・。お母さん、なぜ怒れるかというと、子どもさんの今ある姿と、お母様のこうあってほしいと思う姿にギャップがあるから怒れちゃうんですよ」
云々と、楽しいおしゃべりは続きました。
人は、自分の思いと異なることで人を間違っていると非難したり、付き合えないと思ったりします。実際、私も同じこころざし、同じ考えを持っている人と一緒にいると落ち着きます。
いくら怒れる人がいたとしても、それは、ただ単に違うということ。蕎麦が好きかうどんが好きか(ちょっと極端な例ですが)というぐらいなのかもしれません。
とてもおいしい蕎麦屋さんを見つけたので、普段から仲の良いグループのメンバーに教えてあげようとA子さんは思いました。
「ねぇ、みなさん。とってもおいしい蕎麦屋さんを見つけたのよ。本当に絶品!今度の土曜日にみんなで食べに行きましょうよ」といいました。同席していたK子さんは言いました。「ごめんなさい。私、行けないわ」
せっかく仲の良いメンバーにいいことを教えてあげようと思ったのに、K子さんったら・・・、と思う方もみえるのではないでしょうか?
でも、K子さんが蕎麦アレルギーであることを事前に知っていれば、A子さんは違った誘い方もできたことでしょう。
大切なことは、相手をよく理解するということです。頭ごなしに決めつけてしまうと、相手の心を傷つけてしまうことにもなりかねません。実際、普段から付き合っている仲間であったら、相手に不愉快な思いをさせようとか、反発してやろうとか考えていることは全く考えていないでしょう。
本当は、仲良くしていたいのに、ちょっとしたことで疑心暗鬼になるのは、その相手のことを、実は心から信じていないからかもしれません。
自分の思い通りになることはとても嬉しいし、同じ思いの人と一緒にいる事はとても楽しいことです。でも、その集団は変化していく可能性があまり高くありません。違った考え方に触れることで、今までにない考えや発想が可能になり、集団も個人も成長していくことができます。
自分と思いの違う人は、変な人ではありません。様々な人と思いを交わし、お互いに理解し合い、協力関係を結ぶことができれば、お互いがより幸せになっていくことができます。国と国も理解しあうことができれば戦争なんて起こらないのですが・・。理想と現実は異なるようです。
でも、この子ども達には、人の気持ちを理解できる、人を幸せに導くことのできる人に育ってほしいと思いながら接しています。
最初の問題に返って。
勉強とかスポーツとか限定するのではなく、子どもの人生は子どもが決めて行けるようにしてあげるべきだと考えます。それで、失敗することもあるかもしれません。でも、今大切なのはうまくやることではなくて、なりたい自分を想像したり、やりたいことに向かって進んでいく逞しい心を育てることだと思います。
何をやらせるかではなく、どのように生きてゆきたいかという思いを育てる援助が大切だと考えます。思いが人生を作っていきます。