日々の保育の様子(9月下旬)
9月も半ばを過ぎると、運動会が気になりだします。でも、練習練習では、子どもたちのモチベーションも下がります。この日、年少さんは気分転換のため、近くの公園に水筒を持ってお出かけしました。やや曇りがちの暑すぎない動きやすい気候でした。こういう時は、ふざけて先生を困らせるようなこともありません。早く行きたくて仕方がないので、先生の話もきちんと聞けて、整列していました。
足取りも軽くお出かけです。一糸乱れずとは言いがたいですが、先生の注意事項をきちんと守りながら出発です。
嬉しさに、思わず頬も緩みます。足取りも軽いです。
年少児のクラスでは、先生が絵本を読んでいます。子どもたちは興味津々の様子ですね。
楽しい場面では、思わず笑いが起きます。
絵本のおもしろさに、どんどん引き込まれていきます。
もう一つの年少児のクラスでは、こどもたちがクレヨンを出して先生の話を聞いています。
どうやら、丸い紙に何かを書き込むようです。
早速、色を塗り始めました。
さて、色塗りが終わって、先生の話か、お友達が先生の真似をして前でしゃべったことに対してか、何人かがずっこけていますね。よほどおもしろかったのですね。
教育実習生さんの自己紹介です。興味津々です。
おもしろいことを言ったので、一同ほおが緩みます。先生の話は静かに聴きなさいと、受動的であることを強いることが躾とか教育であるとは思えません。確かにそのような姿勢は大切なことです。それは、そうあるべきとあるべき姿を指示されてそのような姿を見せる事が大切ではなくて、子ども自身が、その場面で、静かに聴くべきだ、あるいはお話を聞きたいという主体的な姿勢を誘発させることの方が大切だと考えます。「聴く」という行為は受動的な行為ではなく、能動的な行為なのです。同じように「見る」という行為も能動的な行為です。上下左右約170度くらいの範囲で網膜には目の前の世界が写っています。しかし私たちは、自分が見たいと思うものを選択的に見、認識しています。網膜の端に写っているものは、見たいと思うものではないので、脳では認識されず次々と消え去っていっています。次の写真で笑みがこぼれている、笑っているということは、話し手の意図を十分聞いていて理解している証拠ですね。人の話を聞いてみよう、とか何を伝えたいと思っているのだろうと話し手に温かい関心を寄せ心の中まで理解しようとする心の芽生えを育てる援助が大切かと思います。子どもを叱って静かにさせていることが人の話を聞く姿勢を育てているというのではなく、いろんな物事に対する興味関心の深さ、素敵な人と出会い素敵な時間を過ごしてきた経験が、新たな出会いに対してより暖かな関心と好奇心を起こさせるのではないでしょうか。一見、厳しくしているときちんと指導している、優しく子どもの気持ちを聞きながら諭していると生ぬるいと感じられがちですが、子どもの主体的な聞く力を身に着けさせるためには、たくさんの素敵な人との出会い、素敵な時間の共有がそのベースとして必要であると考えます。
この日は天気も良く気持ちの良い気候だったので、いつもと気分を変え、外のテラスで給食を頂くことになりました。メニューが子どもたちの大好きなカレーライスだったこともあり、食が進む進む。調理員さんが悲鳴を上げていました。
それを見た隣のクラスの子どもたちも、先生にお願いして外で食べることになりました。そうと決まったら、準備の早いこと早いこと。周りの状況を見ながら自分の出来る事を積極的に行い、あっという間に準備が完了しました。
これは何をやっているかというと、手の消毒です。もちろん食事の準備の前に手は洗いますが、直前にアルコール消毒をします。泡状の消毒液なので、手でもみこすり蒸発してなくなったら消毒完了です。
仲の良い友達と一緒に頂く食事は、何よりのごちそうです。誰の隣に座るかで、トラブルもたまには起きますが、そういう問題を自分たちなりに解決しながら人間関係をうまくやっていく力を身に着けていきます。