鶴城ヶ丘高校に行ってきました。年少さんの社会見学です。幼稚園バスに揺られて高校に着きました。まずは、農場の担当の先生にご挨拶をし、説明を受けます。191205 鶴城ヶ丘動物 a01.jpg牛や馬の大きさに子ども達はびっくり!! 生の迫力に圧倒され、近づけない子どももいました。191205 鶴城ヶ丘動物 a02.jpg

農場の先生が、えさを持ってきてくれました。おそるおそる牛や馬にえさを与えます。ぺろりと手の平の上のえさを食べてくれると、子どもたちや先生から歓声があがります。191205 鶴城ヶ丘動物 a03.jpg牛の舌って、本当に長いんですね。う~ん。これぞ牛タンと納得させられる大きさでした。20センチは伸びましたね。191205 鶴城ヶ丘動物 a04.jpg子牛のいる柵に行きました。かわいい子牛が2棟いました。191205 鶴城ヶ丘動物 a05.jpg子牛の隣には、ヤギが飼われていました。ヤギは牛と比べて小さいので、子ども達もとっつきやすそうでした。191205 鶴城ヶ丘動物 a06.jpgウサギもいると言うことでした。少しだけ見せていただきました。191205 鶴城ヶ丘動物 a07.jpgウサギと言っても、たくさんの種類があるそうです。顔も違いますし、耳が立っているものもあれば、耳が垂れているものもあります。同じところで比べてみると、随分違いがあることに気づかされます。191205 鶴城ヶ丘動物 a08.jpg動物たちとふれあい、あっという間に予定していた時間が来てしまいました。お世話になった先生にお礼を言い、バスに乗り込み帰ってきました。191205 鶴城ヶ丘動物 a09.jpg
動物とふれあうことで、大人も子どもも癒されます。アニマルセラピーもありますように、どうぶつは私たち人間にとって必要な存在です。それは、食用にするとかペットとしてかわいがるという以上に何がしかのものがあることなのでしょう。
心が優しくなる感じがしませんか。理屈抜きにほのぼのとする気持ちが味わえます。
普段はあまり感じませんが、この世の中から動物がいなくなったら、何て寂しくつまらないものになってしまうことでしょう。でも、私たち人間は自分本位にものごとを考え、多くの動物を苦しめ絶滅させていっています。
動物を苦しめることは、人間を苦しめること。環境を汚染したり操作することで動植物の生息条件が変わり、食料としていた動植物が取れなくなり、結局は自分の首を絞めることにつながります。
子どもの頃読んだ、イソップ童話を思い出します。それは、次のようでした。
欲張りなイヌがいました。ある日、イヌが骨をくわえて歩いていると川に出ました。川を渡るために橋を通りました。橋を通る途中、ふと下の川面を見るとイヌが骨をくわえている姿が見えます。その骨も欲しくなったイヌは、大きな声で「ワン!!」と吼えました。すると、自分のくわえていた骨は、川の水の中に落ちていきました。
ひょっとすると私たちは、これと同じことをしているのかもしれませんね。
地球で生産できる食料(富と置き換えてもいいかもしれません)は限られています。少数の人がたくさんの食料をとってしまったら、。残されたたくさんの人は少しの食料を分け合うしかありません。いきわたらないところで餓えや貧困が起こっています。
動物は、食べられるだけしか食べません。しかし、人間はストックしたりよりおいしいものを求めて必要以上のものを獲得しようとしているのかもしれません。
もう一つ、昔聞いたお話です。
未開の村に文明人たちが行きました。現地の人は、少しの食料をとってはのんびりと楽しく暮らしていました。それを見て文明人たちは言いました。そんなに怠けていないで一生懸命狩をしたら、もっとたくさんえものがとれるじゃないか、と。それを聞いて、現地の人はこう答えました。
「そんなにとっても食いきれん!」
努力は無駄とか一生懸命さは意味を成さないとかいう問題ではありません。努力や一生懸命さは大切です。尊い心であると私も思います。
ただ、本当に大切なものは何か?私たちが生きている意味は何か?私たちはどうしてたくさんの人の中で生きているのか?そんなことを考えながら生きていける子ども達に育って欲しいと考えます。
皆様は、どのようにお考えでしょうか?